気楽なサラリーマンにも能力や責任が問われ、気楽ではなくなった
サラリーマンは気楽な商売でした。
それは個人事業や起業と比べての物です。
ですが、サラリーマンも似たような責任を負わなければならなくなってきています。
ムラ社会に生きる日本の「サラリーマン」 “気楽な稼業”がもはや成り立たないワケ
企業という村に毎日通勤して、村の中の論理だけで働き、報酬を得る。これがあたりまえだった時には、働くということはそれほど難しいものではなかった。
働くことの意味合いの多くが、会社組織の一員であるという安定的な基盤の上に成り立っていたからだ。
サラリーマンは気楽な職業
私自身20年ほど大企業サラリーマンをやった。
思い起こしてみれば、大企業でサラリーマンをやることほど「楽な職業」はない。
よく公務員が一番気楽、と言われるが、公務員は税金をいただいて働く身分であるだけに、公僕としての使命感と市民から監視されている緊張感から逃れられない。
ところが、大企業はあくまでも民間だ。
民間だから倒産するリスクはつきまとうが、これが大企業であればあるほど、可能性はそれほど高いものではない。
米国企業に勤務したこともあるが、米国の企業に就職すれば入社したその日からレイオフされるリスクを常に背中に背負い続けて仕事をすることになる。
だから必死に働いて成果を上げようとする側面もあるが、精神的にはかなりのストレスだ。
いっぽうで、自身で会社をたちあげて社員を雇う身となると痛感するのが、日本の労働法では社員は非常に守られているということだ。
大企業になればよほどの不祥事、法律に違反するような行為でもしでかさない限り馘になることは稀だ。
大企業ならばなおさら風評を恐れて、簡単には馘にしない。
だから、サラリーマンはお気楽なのである。
“身分の保障”が得られない可能性が出てきたサラリーマン
いっぽうで能力のないサラリーマンのままでは、これからは会社の中で排除されていく運命にある。
村の掟しか知らずに時間を重ねてしまった彼らに生きる道はわずかなものとなってしまうはずだ。
もはやサラリーマンという身分は保障されなくなり、在宅勤務という名の自宅待機を命ぜられ、楽しかったはずの村にも通うことすら叶わなくなってしまうだろう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/476a7894359fe1464fd7c5bfe3605a768e7f3f71
コメント
少しでも大きな会社に入社し、会社の言うことを聞いて仕事をしている。
日本のサラリーマンは仕事の為に勉強をしない、クビになる可能性は低い。
それがサラリーマンがお気楽だと言っている理由です。
ですが、テレワークが始まり、個人で判断しなければならないことが増えた。
それに、大企業でもリストラをされる時代で、能力を求められている。
退職金も減り、年金も減っている。
定年退職後にも、生活ができる保証はない。
会社に通勤しているだけでは一生安泰な収入が保障されなくなってきています。
個人事業や副業、起業となると個人の能力は大事です。
それを求められる時代になってきています。